日記:「どこに違いがあるのだろう?」

劇団四季の「ノートルダムの鐘」を観劇しました。
数か月前から楽しみにしていたイベントで、あえてディズニー映画などでの復習はせずに臨みました。席は満席、今からまたチケットを取ろうとすると数ヶ月後…と大人気のミュージカルです。

THE HUNCHBACK OF NOTRE DAME
この巨大なベルがセットの中にたくさん。

15世紀末のパリ。街の中心に存在するノートルダム大聖堂の鐘突き塔には、カジモドという名の鐘突きが住んでいた。
幼き時に聖堂の聖職者フロローに引き取られた彼は、その容貌から、この塔に閉じ込められ、外の世界と隔離されていた。
塔上から街を眺めて暮らす日々。友と言えば、何故か彼を前にした時に生命を宿す石像(ガーゴイル)と、鐘だけ。いつも自由になることを夢見ていた。
(出典:ミュージカル「ノートルダムの鐘」公式サイトより

とにかく、いい意味で「辛かった」

ガツンと胸に響いた作品でした。途中、辛すぎて涙止まらず…。

アニメと違って、生身の人間が目に前にいると、気持ちが嘘つけないというか。
登場人物への感情移入が半端ないですね。
私たち観客と地続きの場所から訴えかけてくるセリフの数々に、いろんなことを考えてしまいました。

パンフレット内の解説にある言葉を借りますが、”いかに他を許容するか”ということが問われている今こそ、いろんな視点から考察がされてもいい作品かなと思ったりしました。
障がい、移民、LGBT、性差、格差、いろんなテーマが投影できる話です。

私の場合、ちょうどこの観劇の朝に、トランプ氏の差別発言・アメリカ第一主義に対して解説する番組を見てたんですよね。アメリカに住んでいるのに、その存在を拒否される人たち。「私だったら耐えられないかな」そんなことを考えていたばかりだったので、差別され、排他されるジプシー達やカジモド側に一気に感情移入していきました。

最初の演出が全てだった

そして演出で一番気に入ったところ。
舞台が始まって一番最初の演出です。

主人公のカジモドは、舞台に登場した一瞬だけ、他の人と同じような”普通”の人間の姿をしています。
が、数秒の場面転換の間に、特徴的な体の個性を表すパーツを身にまとうだけで「怪物」と呼ばれる存在になるんです。
そしてその時に歌われていた歌、「どこに違いがあるのだろう?」
中身は私たちと同じじゃないか、と訴えてくるカジモドの目が忘れられませぬ。

日本語へのローカライズは、ただの翻訳じゃない

そして、青年がカジモドへ変身する瞬間、英語版のCDではここはこのように歌われています。

What makes a monster and what makes a man?

原作の本質はどちらかというとこちらに近いですね。
ノートルダムの鐘を生んだ作家ユゴーは生涯「民衆」をテーマに物語を作り続けた人。その民衆の目がカジモドを生んだということを「What makes…」はうまく歌い上げている。

ただ、2017年に生きる日本の人に、うまく伝わるようにローカライズするならば?
それが後者の和訳に込められた「差(違い)」という意味合いなのかな、と個人的には考えています。
民衆が1つのことに熱狂することほぼなくなり、SNSやそれぞれのコミュニティの中で情報が消費されるような人たちに、民衆が作り上げる「存在」を伝えるのって結構難しいと思うんです。
でも「差」はとってもわかる。コミュニティは誰かを排他するし、見下すし、差別する。差別と偏見は日本人にとってはとても身近なものだと思います。

もちろん、言葉の数の限界もあったと思いますが、「どこに違いがあるのだろう?」は素晴らしいローカライズだと思います。
ブロードウェイの翻訳にとどまらない、日本で見るから伝わる作品。
そんなミュージカルに出会えたのが嬉しかったです。ありがとうございました。


[おまけ]今日のグルメ

カフェラミル 浜松町店 / 美味しいミルフィーユとダージリン。

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